できるだけ見栄を張らずに生きていきたいと思った話

最近無駄に帰るのが遅くなっているバイタルです。

先週の残業の影響からか、定時後1時間経過しても何も思わなくなっているのが結構ヤバいな、と思っています。意外に残業続きでも平気だったせいか、身体が慣れてしまっています。明日から仕切り直して、はりきって定時で退社するようにしたいと思います。

さて、今日はできるだけ見栄を張らずに生きていきたいと思った話です。

見栄を張っても自分は何も変わらない

正直、私も見栄を張っていたことはあります。しかし、見栄を張っていても自分が別に変ったわけではないし、せいぜい他人にどうみられるかが少し変わるくらいです。劇的に変わることは恐らくないでしょう。そもそも、見栄を張る=うそ?という認識が私の中にあるからかもしれません。

嘘は方便、といいますので必ずしも嘘が悪いこととは思いませんが、見栄を張ることについてはさして良いことがないように思います。 他人からよく見られたいとか、他人からよく思われたい、という気持ちもあります。しかし、それだけに拘るのはよくないのかなぁ、と思います。

どうしてよくないのか、というと自分の人生を生きているからです。

他人によく思われたいために生きているわけではないですし、他人からどう思われても自分がやりたいことや、正しいと思うこともあります(もちろん、法律を脱しない範囲で)。他人のことを一切無視していいといっているわけではありませんが、あくまでも自分は自分の人生を生きるしかないので、やはり他人に縛られすぎていいことはないのではないか?と私は考えます。

見栄を張ることで自分が満足できていればそれはそれでいいのかもしれません。ただ、主体はあくまでも自分なので、見栄を張ってどう思われているかが主ではなく、じぶんがどうなりたいか、どうでありたいか、ということが重要かな、と思います。

見栄を張るということは、理想の自分の姿にはいまはなれないけれど、格好だけつけたいということに他なりません。私もあまり認識はなかったのですが、理想には程遠いという現状を理解し、次の一手を打った方が現実的かと思われます。

口では何とでも言えますが、やはり行動するのが難しいです。

ついつい見栄を張って知ったふりをしてしまうこともありますし、自分に素直に、そして嘘をつかずにまっすぐ生きるというのは結構難しいものだなと思います。それが最良だとも思いませんが、個人的な感情としてはあまり嘘はつきたくないなぁ、と思います。