努力とか頑張るというのは第三者視点の話
Amazon の Kindle Unlimited を解約したバイタルです。
読み放題サービスと言っても、読みたい本が増えてきたのであんまり利用する価値がなくなってきました。読みたいジャンルが決まっていて、読みたい本が分からない人は利用する価値があるサービスです。
今日は努力とか頑張るというのは第三者視点の話(という話)です。
やりたくないことを頑張っている?
頑張ります、という言葉はよく聞きます。
「頑張る」をググると「忍耐して、努力しとおす。気張る。」という意味だと記載されていました。頑張るというと聞こえはいいですが、本来の意味から言うと結構つらいことを辛抱してなんとかやりきる、という感じでしょうか。
単なる努力じゃなくて、努力「しとおす」というところがポイントで、努力し続けてやりきることっぽいですよね。
適当に「頑張ります」って言っておけば納得してくれる人が多いので、自分も割と使ってると思います。特に会社だと「頑張る」って言っておけば何とかなる説あります。
忍耐して努力しとおす、と簡単に書きましたが結構つらいことです。
我慢しなければいけないことも多いし、つらいことも耐えなければいけない。そういう感情が湧くということは、イコールやりたくないことなのでは?と思います。
「仕事頑張ります」というのは「仕事はやりたくないけどなんとか耐えてやります」という発言になるし、「精一杯頑張ります」は「やりたくないけど自分の上限まで耐えてなんとか努力しとおす」という意味になります。
ちょっと言い過ぎかもしれませんが。
努力とか頑張ったとかあまり思わない
やりたいことだけやっていると、努力とか頑張ったとかあまり思わないような気がします。やりたくてやっているんだから、耐えることもないし、そもそも楽しんでやっているから努力しているとも思わない。そういうことです。
努力とか頑張ったとかいうのはなんとなく評価されがちなような気がしますが、まあやりたくないことをよく進んでやってるな、と思ってしまいます。
私はできることなら、努力したくないし、頑張りたくもないです。
というか、努力しなくても頑張らなくても生きていけると思うし、どうせなら楽しい方がいいと考えています。
周りから見た「努力」「頑張り」はあるかも
少なくとも、楽しいことをやっているだけなら本人は努力したな~とか、頑張ったな~という感情はあんまりない気がします。
ただ、第三者から見たら本人がやっていること=その人にとってはやりたくないことになるので、努力してるね、とか頑張っているね、という評価になるのだと思います。