自己啓発セミナーの時間的コストが高すぎると思った話

傘を忘れてきたバイタルです。

雪国の人間は基本傘をささないのですが、さすがに20~30分の徒歩通勤となると傘が必要になります。出勤するときにべちゃべちゃになっちゃいますからね。

なんか年々寒さには弱くなってきている気がします。単に風邪をひきたくないということもありますが、寒いのは苦手になってきたようです。

今日は自己啓発セミナーの時間的コストが高すぎると思った話です。

私が自己啓発セミナーに参加した経緯

自己啓発セミナーは私も嫌いな部類で、全く興味がありませんでした。その一方で一度も参加したことはなく、今回は上司に勧められたので試しに行ってみるか、くらいのノリでした。

先日その自己啓発セミナーに参加しました。そして今回の学びは2つ。1つはあまりにも時間的コストが高いということ。もう1つは自分には参加する意義がないなと思えたことでした。

自己啓発セミナーは誰のためのもの?

だいたいのセミナーは講師がいて、生徒がいるという形式が多いです。初対面の人とペアやチームを組み、ディスカッションする形式のセミナーも最近は多くあるような気がします。

さて、まず1つの問題が講師です。講師は本当に価値のある話をしているのか、というのが非常に重要です。今回私が参加したセミナーは、講師が話耳障りの良い言葉を多く言っていたと思います。

それで自分の気持ちを高めることはできるかもしれません。ただ、それならば時間的コストをかけることは無駄だと感じました。

移動時間、拘束時間とあわせて3~4時間拘束されましたが、そこまでの時間を削って参加した意味はあまりありませんでした(行く価値のないセミナーがあるということが学びかも)。

そして、講師の経歴も調べずにいた私も軽率でした。ただ、講師も仕事でやっているわけです。中には信念をもってセミナーをやっている方もいるでしょうが、そういう人ばかりではないという可能性もあります。

自主的に学びに行っても環境によって無意味になる

今回私は後ろ向きな理由(自主的ではない、の意)でセミナーに参加しましたが、自主的に参加すればいいということでもないような気がします。なぜならば、「自分だけが自主的に学びにっているセミナーの可能性」があるからです。

周りの人間も自主的である、という保証はありません。会社として行って来いといわれ、参加している人も一定数いるでしょう。そういう場合はディスカッションなど無意味なると思われます。

セミナーでの学びが環境によって左右されるということからも、時間的コストは非常に高くコストパフォーマンスが悪すぎるのではないか、と言えるのではないでしょうか。

自己啓発セミナーではなく本を読めば十分ではないか

自己啓発本というのも多く刊行されています。

これもちょっとどうなのかな、と思う部分はあります。しかし、少なくとも途中で本を読むのをやめて売ることもできます。時間的コストは本の方が低いといえます。

また、セミナーの場合、途中退出ができないことが多いと思います。そして少人数の場合は場の雰囲気を崩してしまう可能性もあり、途中退室しづらいと思います。今回私が参加したセミナーもそうでした。

今回私が参加したセミナーは、会社が全額もってくれるセミナーだったため、私の懐にダメージは全くありませんでした。でも、本を買うよりはずっとコストは高いと思います。時間的にも、金銭的にも本で十分だな、と感じてしまいました。

今回の学びは、もう自己啓発セミナーにはいかないだろう、ということです。自分に合わないと分かっただけでも収穫かなと思います。そして、学ぶなら本で十分だなということもわかりました。

ただ、参加しなければ「ほかの参加者」の視点を持つことはできなかったと思います。時間的コストは高かったですが、少しでも学びがあったのでまあ最終的にはよかったかのかもしれません。これも経験ですね。